人格者、といえば、あなたはどんな人を思い浮かべますか?
自分の言うことをよく聞いてくれて、何でもしてくれる「やさしい人」でしょうか?
または、自分の気持ちに寄り添ってくれて、かつ状況に応じた対応をしてくれる「気遣いができる人」でしょうか?
たしかに、やさしい人や気遣いができる人は、人から尊敬を集めたり、またモテたりするわけですが、
それだけでは、完成された人格とは、言えません。
では、本物の人格者とはどんな人のことでしょうか?
結論から言いますと、「間違いを、認められる人」、のことです。
優れた人格を持つ人物のことを、「聖人」と呼ぶことがありますが、
聖人の「聖」の字は、訓読みで「ひじり」と読みます。
この、ひじり、という言葉は、漢字では「非知り」と書きます。
つまり、自分の非を知る、言い換えれば、自分のよくない部分を認めることができる人が、
聖人、すなわち優れた人格をもつ人、というふうにされているわけです。
自分のよくない部分を直視するのは、できれば避けたいものです。
しかし、すべての人間には、長所と短所があり、好き嫌いがあり、得意分野と不得意分野があります。
このような、短所、嫌いなこと、不得意分野に引きずられて、
時には、間違った選択、間違った判断をしてしまうのが、私たち人間なのです。
自分は常に正しい、というわけではなく、間違いをしてしまうことも、あり得ること、
そして間違いに気づき、間違いを認め、間違いを是正する自分になれる人が、
真の人格者、というわけです。
やさしい人や気遣いができる人は、まだまだ、真の人格者の入り口に立っているに過ぎません。
もちろん、やさしかったり、気遣いができることは、立派なことなのですが、
社会でそれなりの評価を得ているがために、「自分は正しい人間だ」という強い思い込みを生むことになります。
そうすると、もう一方の自分を直視できず、次第に考え方が偏ってしまうのです。
時には間違いを犯して、その間違いを認めて、自分にはふたつの側面があることを思い知らされるのが、
私たちの人生、と言うことができるのです。