最近よくネット(特にSNS)で、「日本オワタ!」というフレーズを目にしませんか?
政府の政策に反対するとき、ネガティブな統計が発表された時、理不尽な犯罪が報じられているときなどに、「日本オワタ」のフレーズを用いた投稿が相次ぎ、トレンド入りすることもあります。
でも、「日本オワタ」と言われて、みなさんはどう思いますか?
今回言いたいのは、
そんなことないと
思う人の方が実は多い
ということです。
今回は、そんな話をしていきたいと思います。
日本オワタ論は時代に逆行している!
日本オワタと、日本をネガティブに捉える論調、一見かっこよさそうに見えますが、実は時代遅れです。
というのも、国民世論は、確実に「日本大好き」です。2011年の東日本大震災がきっかけで、震災を発端に「がんばろう日本」というフレーズが一般的になりました。
これを機に、国民の中に潜在的に眠っていた、日本人が自然に生まれ育った国・日本に親しみを持つ心が、オープンに表現できる風土が出来上がったと思います。
最近は日本の歴史や文化に積極的にアクセスする人が増えました。各地の観光地を巡ったり、神社仏閣を訪れたりと、日本の良さ、素晴らしさを見直す動きは広がりを見せています。
「日本のことが好き」という人が大多数となったので、「日本オワタ」というフレーズを目にすると、違和感を感じたり、そんなことはない!と反論したくなる人が、実は多数派(サイレントマジョリティ―)なのです。
これは、日本オワタ論を掲げて悦に入っている人には気づきにくい現実です。「グローバルな思考を身に着けて時代の先端を行く考え方をしている」と思っている人ほど陥りやすい罠なのです。
日本オワタどころか、日本にはポテンシャルがありまだまだ伸びしろがある。日本の良くするために自分にできる活躍をしよう、と考える方がよほど健康的ですし、時代にも会っています。
日本オワタという人の心理
では、日本オワタという人って、どんな心理がこめられているのでしょうか?考えられる3つの要素をご紹介します。
日本を批判して自分の箔をつける
特にIT関連で成功した人に多く見られるのですが、日本のことをネガティブに捉える投稿などをすることは、「世界は進んでいるのに日本は遅れている。それを指摘する自分はすごい」という意識が働いています。
「日本を批判している自分はカッコいい」という発想になっているのです。それがトレンディだと思っている節があります。でも実際には、思った以降に批判コメントをもらう、ということもあるのです。
日本をネタにしたらプラスになるとわかっている
日本をDisることをネタにすることで、賛否はどうであれ注目を積め、アクセスも稼げるため、結果的にプラスになります。
批判を受けることも織り込み済みで、成果重視の言論に徹するということですね。本人には強い思想性があるわけではないケースがほとんどです。逆に思想を明確に持っていると、そういう成果狙いの投稿は難しいでしょう。
日本好きがゆえに叱る
もちろん、日本への深い愛情ゆえに叱っている人もいます。
強い口調で叱ると反発もされるので、ソフトなしかり方として、「日本オワタ」というスラング的なフレーズを使ってマイルドにする、という人もいます。
ただ、多少なりとも日本をDisる言論は、直接反発はされなくとも、不愉快に思う人も覚えておきましょう。
日本を否定する人が日本で生きずらいのは当然
生まれ育った国のことを肯定できないことは、実は不幸なことです。自分の国のよろしくない部分にばかりフォーカスを当てすぎるあまり、日ごろの生活の中でこの国で生まれ生活している恩恵に気づきにくくなっているのは、残念なことです。
私は海外留学していたことがありました。外国に住んで初めて、日本はなんていい国だ、住み心地のいい国だ、ということに気づけました。美味しい食べ物に恵まれ、医療や社会保障も手厚いです。日本にいると認識しづらいけど・・・
だからこそ、日本を卑下するような言論を繰り返している人をSNSなどで見ていると、せっかく日本に生まれ済んでいるのに、もったいないなあと思います。もっと、日本のいい所に気づいてほしいなあと思います。
もちろん、知っていながらパロディ目的で、もしくはあいわゆる「炎上目的」で日本を不定するひともいるかもしれませんが、生まれ住んだ国を否定することは自分自身の歩みを否定することでもあり、本人のメンタル的にもいい影響を与えるとは思えません。
日本に対する不満ばかりを募らせてしまうと、日本にいること自体がつまらなくなります。もちろん改善すべき点は多々ありますが、日本の素晴らしい所にも目を向けてみることも大切です。
おわりに
「日本オワタ」というワードは今後も頻繁に見られるでしょう。
ということは、その都度日本は終わっていないってことですよね。お後がよろしいようでw