「自立した人間にならないといけない」
そう思っていませんか?
誰かに依存するのは甘えている。
と、人のお世話になることを避けていませんか?
人のお世話になることはありがたいことですし、あなたが受け入れられていることの証なので、過剰にならない程度なら結構なことです。
しかし、お世話になる=甘え、の思い込みが強いと、せっかくの助け舟も拒絶してしまい、孤立を深めることにもなりかねません。
かといって、「やっぱり依存的なのはだらしない」と思ってしまうのは仕方のないこと。
自分自身に甘さがあると、成長する機会を自ら奪うようなものですからね。
今回は、周りに極端に甘えることなく、自立した人間になるとはどういうことかについて、お話していきましょう。
自立った人間になる!と言っても、自給自足しない限り誰かに依存しないと生きていけません。
いくら自分が食べるものは自炊すると言っても、誰かが食べ物の材料となるものを作り、獲り、そして自分の手元に運んでくれないと、私たちは食べることはできませんよね。
親元を離れ一人暮らしをすると言っても、自分ひとりで家を建てるのは極めて困難で、誰かが設計し、建設してくれた住居を与えられて安心で安全な暮らしができるわけですよね。
そして、そんな食べ物や住む場所を供給してくれた人に、「お金」という対価を支払うことで、この社会は成り立っています。
つまり…
世の中はもちつもたれつの「相互依存」でできています。
誰一人として依存していない人がいないこの世の中で、「自立する」と考えることが、少し矛盾しているようにも感じられます。
完全に誰の力も借りず自立している人は現実的にはいないのですから。
でも、社会は「自立している人」と「自立していない人」を判別している風潮があります。
一般的に考えられている「自立」とは、GIVEすること=与えることをしっかりやっている状態、と受け取られています。
自分で「できること」は自分でやり、自分の「できること」で社会に貢献して対価を受け取る。
これが模範的な「自立型人間」とされています。
それに対し、誰かに甘えて何かを受け取ってばかりの人を「自立していない」とみなす社会の暗黙の了解が存在しています。
中にはどうしても「頑張れない」状態にある人もいるのに…
ギブもちゃんとしてるけどそれと同じくらいありがたく受け取っていると自覚している状態が真の「自立」ではないかと思うのです。
与える能力や体力が与える時期には積極的に与え、受け取る必要があるときには積極的に受け取る。
ギブとテイクがバランスのとれている状態が、「自立している」すなわち、
社会と折り合いをつけながら自分の人生を生きている
ことに他なりません。
受け取ることは甘えではなく、しかるべき時期にしっかり与えることができるために必要なリソースを得る期間、と捉えれば、トータルで見てギブとテイクが同等になります。
本当の意味での自立型人間には、誰でもなれるのです。