私たちは今、最高に便利な時代を生きています。
例えば、現在ほとんどの家庭では、洗濯機、掃除機、冷蔵庫といった家電製品は揃っていますが、
それらが一切なかった時代を、少し思い浮かべてみてください。
洋服を1着1着、洗濯板でゴシゴシしながら洗濯して、
ほうきとちりとりを握りしめ、部屋の片隅まで、手足を動かしながら掃き清めて、
食料を長期保存できないので、買い集めた食材をその日のうちに調理しないといけない、という生活スタイルになります。
いかに、家事というのは、1日がかりの大変な仕事であったかがわかります。
家事については、昔に比べると、身体的負担が解消され、時間も大幅に短縮されて、
明らかに、便利な時代になったわけです。
しかし、いくら昔よりははるかに便利になっても、
私たちの悩み苦しみというものが、完全に消えることはありません。
現に、今ストレスを抱えて、つらい思いをされている方もいらっしゃることでしょう。
便利な世の中になっても、幸福感を得られないことが、多々あります。
しかし、便利なものが発明されていなかった昔でも、幸福感に満ちた人生を生きた人はたくさんいます。
その時代その時代に、最善の生き方は常に存在していたわけです。
こうして、ものの便利さと、幸福度は、あまり関係がない、という実態が見えてくるわけです。
便利な世の中になっても、1日24時間、という時間が与えられているのは、今も昔も変わりません。
便利になり、そのおかげで空いた時間の中に、悩みの種が生まれているだけです。
便利だからこそ、不便な時代には考えられなかった悩み、というものも、発生し続けるわけです。
いくら物に満たされ、便利な時代になっても、24時間という時間が与えられているかぎり、
いつの時代でも、人間は悩める生き物なのです。
だからこそ、物の豊かさに囚われることなく、
自分らしい幸せとは何か?ということを、常に頭に描いておく必要があるのです。