誰だって、努力は報われたいと思っています。
何らかの利益や達成を得たいからこそ、今一生懸命努力しているのです。
改めて、努力という言葉を辞書で引いてみますと…
力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。
出典:精選版 日本国語大辞典
努力するとき、というのは、何らかの目標や目指したい理想があり、それに向けて力の限り頑張る時期です。エネルギーを投入し、気力体力、知識や技量、さらには資金などのあらゆるリソースを投入し、目標達成のために実力を発揮しようとするのが努力です。
そこまでして頑張るのですから、いい結果を得たいですよね。報われたいですよね。
報われるとわかっているのなら、努力を惜しまないのですが、実際にはどのような結果になるかは未知数です。だからこそ、成果につながる努力をしたいもの。
最近はこのような言葉をよく耳にします。

努力の方向性を間違えてはいけないよ。正しい努力をしましょう。
努力には、正しい努力と正しくない努力とがあるようです。とはいえ、正しい努力?と言われてもすぐにはわかりません。

そんなのわかってるよ!何が正しい努力かがわかれば、誰も苦労しないよ!
と言いたくもなりますよね。
正しい努力とは何か?それはこれから何かを頑張っている人、そして今既に努力している人、努力しているのになかなか成果が現れない人にとって、今すぐにでも知りたいこと。
結論から言いますと、正しい努力とは以下の2つを満たしたものです。
今回は、この2つを検証しながら、正しい努力を歩んでもらうお手伝いになれればと思います。
楽しい努力
正しい努力とは、一文字違いの「楽しい努力」であることが大前提です。
楽しい努力をしているとは、「自分が好きなこと」であり、「自分がやりたいこと」をしているときです。
決して、社会的に価値があるからやる、ということではありません。
もちろんその思いがあるので努力している人もいるかもしれませんが、まず自分自身が心から楽しめるものでないといけません。それをやることでワクワク感が常に沸くようなものでないといけません。
「楽しんでいるように振る舞う」のでは決して長期間続きませんし、自分に嘘をついているためメンタル面でもしこりを残すことになります。
「これをやるのが私の使命だ」と、たとえ自分にあまり向いてないことでも使命感に燃えて努力することもありますが、使命感とは意外にもろく、使命感が強ければ強いほど、周りの賛同を得られなかったりすると孤立感を深めてしまいます。
そこで、こう疑問に思われる方もいるでしょう。

本当に楽しいときと、楽しいふりをしているときって、自分ではよくわからない。
楽しい努力ってどういうときに実感できるの?
私なら、こうお答えします。

何らかの努力をした(がんばった)後に、にやけてしまうほどの充実感を味わったときです。
頑張ってきたことが心から楽しめるものであれば、やり終えたときの充実感は半端ないのです。逆に義務感や使命感が先に来ている場合は、やり終えた後は疲労感に包まれて、喜びの感情は湧きにくいです。
努力する、ということは人生の貴重な時間を費やすことでもあります。
そうであれば、自分の好きなこと、やりたいことに時間を注入したいですよね。
楽しい努力に、惜しみなく時間を使っていきましょう。
報われなくても悔いのない努力
そして、正しい努力のもう一つの重要な観点は、「報われなくても悔いが残らないか」ということです。
現実問題として、努力は100%報われるとは言い切れません。
努力の甲斐むなしく、期待通りの成果を上げられない時もあります。仮に報われなくても、これまでやってきたことに悔いはない、と納得できれば、今の努力に全力を尽くせます。

努力している最中に、失敗することを考えることはバカだ!
とおっしゃる方もいるかも知れません。もちろんそういうお気持ちもわかります。私もあることで必死に努力していた時は、そのように思っていたものです。
でも、「どっちに転んでも後悔しない」という割り切りは、心に余裕をもたらします。
これによって、損得関係なしに、目の前の努力に打ち込めるのです。
今を精一杯楽しみ
結果はすべて天にお任せする
という状態が、最も素晴らしい努力のあり方です。
努力は苦しみの時間ではありません。貴重な人生の1ページを彩る価値ある時間です。
おわりに
というわけで、「楽しい努力」と「報われなくても悔いのない努力」は密接につながっています。
改めてまとめますと、「正しい努力」とは、
時間を費やすに値する楽しい努力
ということになります。
そうなると、努力に値するものは、だいぶ限られてきます。限りあるリソースを、選ばれし正しい努力に注ぎ込みましょう!
今この瞬間、あなたにとっての正しい努力は何ですか?