「厳しい性格の人」って、身の周りにいませんか?
いわゆる「厳格な人」と呼ばれる人ですね。人生の中で、幸か不幸かそのような人と縁があり、苦しまれた人もいれば、育ててもらったと感謝している人もいるでしょう。
厳しい人を良く観察していると、自分にもすごく厳しく、ストイックな人がいます。今回はそのような人についてお話していきます。
この記事をお読みいただくことで、厳しい人はなぜ厳しいかを知ることができ、そのような人にどのように接していけばいいかがわかります。
今日の結論から言いますと、自分に厳しい人というは、他人にも厳しく当たる傾向があります。
それを自分にも他人にも求めます。
まずはこの「べき論」についてお話していきましょう。
自分に厳しい人は「べき論」が多い
「べき論」とは読んで字のごとく、「こういうときには○○するべき」「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」というように、あることに対して固定した考え方を持ち続けることです。
いわば「こだわりが強い」ひとですね。そして感情が表に出やすい人がこのタイプだと、「めんどくさい人」と思われやすくなります。
「べき論」に凝り固まるのは、決していけないことではなく、これまでの人生を生きてきた結果として積み上げた考え方の集積なので、他人が良し悪しを判断できるものではありません。よほど公序良俗に反していない限りにおいては。
「こうあるべきだ」という価値観は、そのほとんどは絶対的なものでもなく、普遍的でもなく、その人の強い思い込みであることが多いのですが、「べき論」は気づかないうちに自分を振り回します。
自責思考が強くなったりして自分に自信が持てなかったり、行動に制限を変えたりするのでラッキーチャンスを逃したり…などとしてしまいがち。
そしてついには、他人にネガティブな影響を与えてしまうことになります。
べき論は結局は他人に向かう
自分に対して「こうあるべきた」という思いが過度になると、他人に対しても同じようであるべきだという考え方に支配されやすくなります。
こうなると、自分の思いの通りに動いてくれない人や、自分が求める人物像からかけ離れている人に対して、嫌悪感が強くなります。
他人に厳しい態度を取っているのは、その相手の表情やしぐさを見ていたら気づきます。時にはあからさまに憎悪の目線を向けていることもあります。そのときにいかに自分の言動を冷静に観れるかがポイントです。
自分を認める勇気を持つ
べき論を見直していくことは、今までの自分を許してあげることです。
「そのままでいいんだよ」と自分に問いかけることは、実は勇気の要ることです。なぜなら、それは「理想の自分」「こうありたい自分」を捨てることになるからです。それは、大きなパラダイムシフトになります。
「べき論」は自分を縛りつけてきたものですが、一方で、時には奮い立たせてくれたカンフル剤でもあります。でも、最終的にはある真実に気づきます。それは…
絶対ではなく永遠でもない
一般常識は時代によってコロコロ変わります。150年ほど前まで、殺傷能力のある刀を持ち歩いても許される時代がありました。しかし現在は銃刀法違反として処罰の対象になります。
「~すべき」という考えも、時の流れによって、淘汰されては生み出されを繰り返しています。いずれは通用しなくなる考え方にいつまでもしがみつく必要はあるのです。
自分に厳しすぎると自覚できたときこそ、べき論をきれいさっぱり捨て去るチャンス到来なのです。
自分に甘く人に厳しい人とは距離を置くのが最善
そして、もう一方の「厳しい人」のタイプにもふれておきましょう。世の中に数多いる「厳しい人」には、2つのタイプがいます。
「自分に甘くて人には厳しい人」
このような人は、「自己中心的」「怒りっぽい」「ナルシスト」などといった性格を秘めています。「サイコパス」と呼ばれる人もこれにあたります。
このような人は、できる限り関わらず、距離を置くことが最善です。自己愛が強すぎて、他人の気持ちへの理解が極端に薄くなってしまうので、関われば関わるほどストレスが溜まります。事実、このような人から学んだり好影響を受けるなどということは滅多にありません。
自分に甘い人は、自分の利益を優先させることが言動に現れるので、わかりやすいです。「この人は自分に甘くて他人に厳しい」ことがわかったら、少しずつ距離を置き始めるのがベストです。
このような人は、他人が変えることは決してできません。自ら自覚し、自らが強い意志をもって変わることを選ばないと、決して変わりません。そして現実的にはその可能性は低いです。
おわりに
自分に厳しくあるのは、「正しい生き方」を実践しているということであり、それ自体は素晴らしいです。しかしその厳しさが他の人まで波及すると、人間関係がこじれやすくなります。
自分に厳しく向き合っている人は「べき論」が強まっていないか、確認しておきましょう。