こんにちは、おかもとたかしです。
今回お話するのは、まさにタイトルの通り、
絶対に認めない人は損をする
ということです。
実際いませんか?そういう人…
このブログにアクセスいただいた方は、ある特定の方を思い浮かべていらっしゃるのかもしれません。
当事者がこのページを見ることはあまりないと思います。もし上記のポイントを実感している人がこのページにアクセスしていただいたのなら、自分を見つめるよい機会になろうかと思います。
今回の記事をお読みいただければ、間違いを認めることの難しさ、そして大切さがおわかりいただけると思います。
人はみな「自分は正しい」と思いたい
これもまさに見出しの通りなのですが、私たちは、なんだかんだ言って自分が一番かわいいです。
自分のことが嫌い、という人がよくいますが、自分がケガや病気に見舞われたら、なんとしてでも治したいって思いますよね。
たとえ世界のどこかで大きな自然災害が発生して多くの方が被害を受けてるとしても、自分がいま体調を崩しているのであれば、そちらの方が関心が高いですよね。自分が世界で一番大切だという何よりの証です。
自分の人生なのだから自分が一番大切なのは当然。であれば、自分の「思い」も正しいと信じたいものです。たとえ根拠があろうがなかろうが、自分が「これだ」と信じた方向性は守りたいと考えるのはごく自然のことです。
実際に、自分が「こうだ」と信じていることに対して、他人から否定されるような言動を取られると、誰でもいい気分はしません。キャリアを積んだ人であればあるほど、否定されるとムキになる場合があります。自分がそうだと信じて歩んできた経験則があるからです。
自分の知識と経験に基づいて築いてきた思想は、「正しい」と思うのは当然。しかしながら、
あなたが信じている思想は数年前には主流でも、現代では受け入れがたくなっている、ということも考えられますし、常識というものは時代によって調整を繰り返してアップデートされるものです。
あなたの意見、主張は、いつの時代でも絶対に正しい、とは断言できないのです。
論語の金言が現代にも刺さる!
それではここで、中国の有名な古典「論語」の一説をご紹介します、
論語と言えば、春秋時代の政治家・思想家の「孔子」の言行録をまとめたものです。その中の「衛霊公」という章にあるとても有名な言葉です。
是(これ)を過(あやま)ちという
訳は以下の通りです。
本当の過ちとは、過ちを犯した後に、
それを反省しないことである。
いかがでしょうか?胸に響きませんか?
私はこの言葉を初めて知ったとき、すごく我に返ったような思いがしました。身につまされたようで心苦しかったものです。
単純に、本当にその通りだなあ…と。
人間の思考パターンって、2500年以上も前から変わっていないんだなあと思い知らされました。
まさに「金言」というにふさわしい言葉で、今日の話はもうここで終わってもいいのですが、もう少し話を続けましょう。
間違ったと意識することはある
誰しも「間違ったかな」と意識することがあります。その時にしっかり反省し、場合によってはしっかり頭を下げて謝ることができるか、ここが人間力の最大のヤマ場だと思います。
ここでプライドが邪魔して反省しない人は、自己の成長を自ら放棄していると言えますし、反省どころかより攻撃的になる人は、最も大切な信頼を失うことになります。
間違いを認めないと間違いを重ねてしまう
間違いを認めないと、以下のようになります。
2・謝るべき対象者との終わりなき戦いに突入してしまいます。
3・時間が経てば経つほど謝る機会を喪失してしまいます。
こうしてみると、何一ついいことはありませんよね。ただ単に「損する」だけでは済みません。一番まずいのは、無駄な戦いをしてしまうことです。反省して一言謝れば済むことなのに、それがないがために、戦いの無限ループです。
そして、
また間違いを犯してしまう
という最悪の落とし穴にはまります。そうなるともはた自分自身のコントロールが効かなくなり、
「執着」してしまうことになります。
ここまでくると、人格的にも歪んでしまいます。思考のパターンが偏ったものになり、自分自身のみならず、多くの人を傷つけてしまうことになります。これは絶対にあってはならないことですね。
優秀な人ほど陥りやすい落とし穴です。
「反省」という行為は、「後退」でも「イメージダウン」でもなく、「自分を見つめ直すべき局面」であり、「自分を変えるチャンス」です。どんなに偉くなっても、反省する態度を持ち続けないと、落とし穴にいとも簡単にはまってしまうのです。
まとめ
というわけで、今回は「論語」を紹介しつつ話を進めてきましたが、太古の昔から、人間は同じことで失敗し続けるということがわかります。
今この瞬間も、世界中で同じ失敗をしている人がいるのでしょう。このページを最後までお読みいただいた聡明なあなたには、論語のあの一説をぜひ胸に刻んでいただきたいと思います。
最後にもう一度、掲げておきますね。
本当の過ちとは、
過ちを犯した後に、
それを反省しないことである。