群れるのが嫌いな人の最適な生き方とは?【孤独と孤高の違いを知る】

心理学
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群れるのが苦手で、何かと群れたがる人たちが苦手!

そう思いの方は意外と多いのです。

日本人は集団で行動することが得意で、それ自体は結構なことなんですが、全員そうとは限らず、なかには集団の輪の中に入るのに抵抗感がある人がいます。

群れるのが嫌、という人は生きずらさを感じて言う人がいるかもしれません。グループに入れという一種の同調圧力に悩まされている人も少なくはないでしょう。

しかし、大丈夫です。群れることが苦手な人にも、生きる指標があります。それは…

 

自分軸を持って孤高に生きる

ということです。

 

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自分軸とは何?

自分軸とは、一言で言えば、他人の言動に左右されず、自分の感情に素直に、自分の価値観に忠実に生きる姿勢です。

対して他人軸とは、他人に依存し、他人の意に沿った生き方をしてしまっていること。自分はそんなことないと思っていても、他人の期待通りに生きようとしていることはよくあることです。

他人の目ばかり気にするのではなく、自分の正直な気持ちに従うこと。自分はどんな人間で、どんな人生を歩みたいのか、立ち止まって見つめてみましょう。

群れやすい人は、自分よりも他人に常に目が向いています。他人と比較し、他人に合わせ、他人から仲間外しにならないように気を使いながら生きています。

群れるのが嫌な人は、群れている人のそのような他人を気にして生きる生き方に違和感を覚えています。自分を押し殺しているおうで、息苦しさを感じるのです。

そんな、群れたくない人でも、一人でいると、孤独感が沸き起こってくることもあります。最初のうちは良くても、徐々にそばに誰もいない寂しさが襲ってくるものです。そういう時は、そうすればいいのでしょうか?

 

孤独ではなく孤高になろう

孤高とは、自分らしさを大切にする生き方を目指すことです

他人は他人、自分は自分とはっきり割り切れる自分になることです。人それぞれに個性があり、それは本来「良い悪い」で単純に測れるものではありません

自分の軸をはっきり持つことで、人に合わせることなく、人を認めるという感覚が身に着きます。人を尊重することができます。そして…

 

「群れる」とは異なる
人との付き合い方が
できるようになります。

この感覚が身に着けば、孤独を恐れることもなく、なおかつ孤独を味わうこともなくなってきます。

 

群れるのはなぜ?

では、なぜ人は集団化するのか?というのを考えてみましょう。

私たち人間は「支え合い」で生きています。お互いに力を合わせ、お互いに足りないものを補い合い、この社会を形成しています。私たちはひとりでは生きていけません。

しかし、そういった「助け合い」で成り立つつながりと、いわゆる「群れる」つながりとは、意味合いが異なります。

群れるとき、というのは何か共通の目的があるわけでなく、志が同じというわけでなく、ただ一緒にいるのが居心地いいからつながっている状態です。

人間は「コンフォートゾーン(快適領域)」というものを求めるようにできています。自分の居心地のいい場所を常に探していて、その場所を見つけたら居座ろうとします

自分とウマが合う人たちのいる集団は、まさにコンフォートゾーンです。ひとりぼっちにならなくて済むばかりか、価値観が同じなので一緒にいて心地いい仲間たちに囲まれるのですから。

よって、「群れやすい人」というのは、人と一緒にいることでコンフォートゾーンを確保したがっている人たち、ということができます。これは人間の本能な欲求なので、「群れる=いけないこと」、と安易にみなすのはよくないのです。

 

群れたくないのはなぜ?

群れたくない人は、集団の中にいるのが嫌ではありません。中には団体行動が苦手なため集団から距離を置く、っというポリシーを持つ人もいますが、多くは、人とつながること自体は抵抗ないという、いたって普通の感覚の人たちです。

ただ、群れるのが嫌な人にとっては、群れやすい人というのは常に(必要以上に)誰かとべったりしていて主体性がないように映っているというわけです。

べったりしている人たちとは相容れないという感覚があるので、そういう人たちの影響を受けたくない!という自己防衛本能が働いています。結果的に群れない選択をしています。

 

まとめ

孤独に陥らず、孤高に生きる。この違い、改めてもう一度ご説明しましょう。

孤独とは一人ぼっちに生きるということ。それに対して孤高は、一人ぼっちにならずとも自分らしさを維持することで他人に流されない生き方ができます。群れるのが本能的に嫌な人が、目指すべき生き方と言えます。

群れている人を否定せず、それはそれでよしと理解できたとき、その時こそ群れない自分になれたということ。自分も理解し、愛trのことも尊重できるよいう、理想的な価値観を手にしたことになります。

群れるのが嫌な人は、無理して群れようとするより、群れないことに誇りを持ち、他者を認めて孤高な生き方を目指してみませんか?

 

 

 

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