阪急電鉄の中づり広告の問題点とは?時代に本当に合っていない?

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関西の大手私鉄・阪急電鉄の車内に掲げられた中づり広告の内容に話題が集まっています。

阪急電鉄の中づり広告が批判を呼んでいる。働く人への啓蒙(けいもう)メッセージを掲載したものだが、「時代にそぐわない」「不愉快だ」といった声が多く寄せられ、阪急電鉄は10日で広告をとりやめることを決めた。

出典:毎日新聞

問題になっている広告はコンサルティング会社・パラドックスが発行した「はたらく言葉たち」から抜粋したメッセージを紹介したもので、同社と阪急電鉄の共同による広告ジャック企画「ハタコトレイン」の一環。梅田~三宮を結ぶ阪急の主軸路線である神戸線をはじめ、宝塚線、京都線の一部の電車に掲示していました。

話題となっている広告コピーをご紹介しましょう。

毎月50万円もらって毎日
生きがいのない生活を送るか、
30万円だけど仕事に
行くのが楽しみで
仕方がないという生活と、
どっちがいいか。
研究機関研究者80代

この文言がSNS上で拡散されるや、様々な意見が飛び交ったのですが、批判的な意見が大半を占めています。事態を受けて、阪急電鉄が掲示の中止を決めたということです。

広告に関し、阪急電鉄は「通勤や通学利用が多く、働く人々を応援したいという意図で企画した。社内で掲載文を選ぶ過程で、不愉快な思いをさせてしまうかもしれないという指摘や懸念はまったくなかった」と説明。30日までの掲載予定だったが、前倒しで広告の中止を決定し、「配慮が足りず、結果として不適切な表現があり、申し訳なく思っている」と話している。

このようなコメントを出すに至ってしまいました。周到な準備をして臨んだ企画でしょうから、忸怩たる思いが感じ取れます。

今回は、なぜ問題化してしまったのか、検証してみたいと思います。

 

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なぜ物議になった?

この広告が掲載されて以降、ネット上で話題になり、批判的なコメントが特に目立ったのですが、批判は2つに大別されるようです。

数字が非現実的か

批判的な意見の中で、とりわけ多かったのが、「金額が非現実的」というものでした。

毎月50万もらう、ということは、現代の一般的な収入意識からみると、かなり高級取りのように見えます。給与所得もしくは年金収入だけでない、なんらかの副収入(不労所得?)があるということで、それ自体かなり稀有な存在ではないでしょうか。

さらに、「30万円だけど」仕事に行くのが楽しみで仕方がない、という表現も、「30万円って価値が低いの?」とちょっと上から目線に感じられ、富裕層の視点と受け取られそうですね。

自分は手取り10万円台なんですけど…(ツイッターより)

サラリーマンの平均所得が3~400万円台とされる昨今では、確かに「いつの時代の話だ」と疑問に思う人が多いのも無理はありません。

不特定多数の目に確実に入ってくる

老若男女ありとあらゆる立場の人が利用する電車内でこのような広告が掲示されたことも、バツが悪かったようです。これだと、不快な広告物を見て不満の声を上げた人に「見たくないなら見なければいい」という理屈が通用せず、どんな人の視界にも入ってしまうのです。

阪急沿線(とくに神戸線)は高級住宅地なので、そのあたりの住民の金銭感覚では?(ツイッターより)

これが広告の世界のもどかしいところ。当然ながら、このコピーに共感する人たちもいて、その人たちには響く広告になるわけですが、世の大半は違和感を覚えたのが現実。共感できない層が多数を占めると、すぐにネットで炎上してしまうという、現代の広告事業の難しさを示す事案になってしまいました。

 

ブラック企業を思い起こす?

そして、話題になった広告コピーがもうひとつありました。それが…

私たちの目的は、
お金を集めることじゃない。
地球上で、いちばん
たくさんのありがとうを
集めることだ。
外食チェーン経営者40代

一見立派な言葉のように見えます。この理想に共感する人は決して少なくないと思います。でもSNS上では、やはり批判が相次ぎました。

ブラック企業によくみられる精神論を振りかざして、いい気分はしない(ツイッターより)

とか、

投稿者が「外食チェーン経営者」というのがなんとも…(ツイッターより)

など、どうしてもブラック企業の実態と結びつける意見が多いようです。

夢を掲げて搾取する?

「崇高な理想を掲げて、それに共感した人を安い賃金で長時間労働させる」というのが、ブラック企業のイメージのひとつとして定着しています。

企業理念やミッションは確かに立派なものがあり、応援したくもなるのですが、それを実現するために、従業員に我慢を強いるのはいかがなものか?とも思います。

お金を集めるのは健全な経済活動

この広告が問題視されたのは、「お金を集めること」に否定的なニュアンスが含まれているからだとも思います。

極端な話、私たちが働くのは「お金を集めるため」に他なりません。企業というものも、究極的には「お金を集める」ことを目的に集った人の固まりでしかありません。

お金が欲しい人が集まり、共に汗水流してお金を集めて、正当に分配する、というのが企業活動の本質です。お金を集めるより大事なものを堂々と掲げられては、「下々にお金が行き渡らないの?」という誤解を与えかねません。

また、健全にビジネスをしていれば、お金を稼いだ分、「感謝」を受け取ることができます。つまり、お金を集めることと、ありがとうを集めることは「イコール関係」であり、「上下関係」ではありません。

お金がすべてではない、というのはわかりますが、やっぱり健全にお金を得なければ、労働する意味はありませんからね。

 

まとめ

広告は姿を消しまうことになったわけですが、この騒動を通して、現代の給与事情を知らしめ、起業の存在理由を問い直すなど、議論のたたき台にはなったのではないでしょうか?

阪急としては不本意なことになってしまいましたが、思わぬ形で、世間に広く告げて価値を啓蒙するという、「広告」の役割を果たしたとも言えそうです。

本来なら電車内でのみしか見ることのできない広告が、このようにSNSで「バズった」ことは、結果的に阪急電鉄はもちろん、パラドックス社も「はたらく言葉たち」も広く周知されたことになり、皮肉なことではありますが、「広告効果」は十分だったのではないかと思います。

 

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