「本来無一物」の意味とは?簡単にご説明します!

ミニマリスト
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私たちが生まれたときは、もちろん丸裸ですよね。何もない状態でこの世の中に現れます。

何も所有してないし、何ひとつ知りません。

そしてこれが、まぎれもなく、それが人間の本来の姿です。

禅の言葉で、これを、「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)と呼んでいます。

ところが私たちは、生きていくうち、いろんなことを得て、手放せなくなってしまいます。

失いたくないものは、数えればキリがありません。

しかし、この世を去るときは、生まれたときと同じく、裸一貫、何も持っていくことはできません。

そう考えると、私たちは何のために、ものを持ってるのでしょう?

あらゆるものは、どうせいずれ自分の手から離れてしまうのです。人、物、情報、お金、名誉…全ての持ちものは、永遠に所有はできず、あくまで期間限定なのです。

この「期間限定」という発想は役に立ちます。今までの人生を振り返ってみても、私たちは出会いと別れを延々と繰り返してきたはず。全てのつながりはいつかは必ず途切れます。

そう思うと、いまかたくなに持ち続けているものに対するこだわりも、軽くなっていきます。いずれ自分の元からいなくなってしまうのはわかっているのですから。

「欲しい」と思っていたものが手に入った途端、どうでもよくなっている…という経験がある人も多いのではないでしょうか?何をしてても、いずれは「飽きる」ときがやってきます。

欲望ははかなく消滅するもの。「こだわり」とか「ひいき」といったものも一時的。

人間の持つ思考や感情に惑わされやすいですが、全ての物事はいいも悪いも好きも嫌いもなく、「ただそこにあるだけ」。それこそ「本来無一物」です。

今執着しているものも、永遠にこだわり続けることはありません。いずれさよならするさだめなのです。ここに気づくことから、所有物を最小化するミニマムな生き方が始まるのです。

 

 

 

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