この世に生きる人、全てが持ってものがあります。
それは、「正義感」です。
みんな、「自分は正しいことをしている」と信じたいのです。
しかし、何が正しいのか?という基準は、人それぞれ違います。
厄介なことに、自分が正しいと思ってることが、他の人も正しいと思ってるとは、全く限りません。
世の中から争い事が絶えない最たる理由は、まさにこれです。
普段の日常を振り返っても、あの人のために良かれと思ってやっていることが、
その人にとっては、ありがた迷惑であることが多々ありますよね、
良いことをしてあげている、という気持ちを出しすぎると、
その気持ちに相手が答えてくれなかったときに、
善意が踏みにじられたと感じてしまいます。
自分が押し付けている善意は、絶対的に正しいものではない、という現実を認められないでいると、
押し付けられた相手との溝は深まるばかりです。
誰かに何かをしてあげる、何かを与える、ということは、
相手に利益をもたらすことが前提ですよね。
しかし、相手に良かれと思うということは、
良いことをしている「自分の正義感を満たす」、という自己都合が働いています。
他人を利用して自分の正義感を誇示するという、自分のための行動になっているのです。
これに気づくことができれば、まず、相手の気持ちをよく理解することを、
相手への行動の前にしなければいけない、ということがわかってきます。
相手の目線に立ち、ただ相手が求めることを与えればいいのです、
そうなると、自分が積み上げてきた正義感の出番はありません。
相手のことを理解した上での、相手に与える行動は、相手に心から喜ばれ、あなたは感謝を受け取ります。
そして、良いことをしてあげた!という気持ち、すなわち善意が、後から満たされることになります。
良いことをしてあげる!と思うと、善意の押し付けになります。
良いことをしてあげた!と後になって振り返ることができたときが、
相手にとって正真正銘の、「良い行い」をした、ということなのです。