真行草の意味とは?【茶道や華道に応用された元々は書道の3書体】

歴史文化
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日本の伝統的な習い事でよく耳にする言葉が「真行草(しんぎょうそう)」。

その深い意味をご存知ですか?

元々は書道から発した言葉なのですが、今や日本の多くの伝統的な芸道で説かれている思想です。

このページにたどりついたあなたは、その芸道を学ぶ上でこの「真行草」という言葉を知り、一体本当はどのような意味なのか詳しく知りたいと思われたかもしれません。

今回は、「真行草」が本来どんな意味で、日本において時代とともにどう変容していったかをお伝えしたいと思います。

 

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真行草の元々の意味とは?

まずはネットで調べものならまずココ。Wikipediaはどんな記述をしているか見てみましょう。

真行草(しんぎょうそう)とは、書の書体、真書・行書・草書の総称である。転じて、日本の中世以来の諸芸道では、様式や空間の価値概念を表す理念語として使用されている。

出典:Wikipedia

これを読んで、

 

あ、学校の書道の事業で習った気がする!

と思い出した方もいらっしゃるでしょう。

、真書(楷書)・行書・草書の3通りの書体は、習字の授業に確かに出てきます。真書は「楷書」とも言われますが、こちらの方がなじみ深いかもしれません、

Wordなどでも、「楷書体」「行書体」のフォントがありますよね。楷書体は角ばった格式高そうなフォーマルなイメージ、行書体はすこしやわらかでくだけたざっくばらんなイメージがありますね。この2つのイメージが、真行草を理解するのに大事な論点になります。詳しくは後述します。

古代中国には篆書(てんしよ)・隷書(れいしよ)といった書体が存在しましたが、現代に通じる真(楷書)・行・草の3つの書体を確立したとされるのが、中国の東晋時代の書家で書道の基礎を作った王羲之です。この王義之の書は奈良・正倉院にも遺されています。

書道が一般に広く普及するなか、3書体の特徴が広く認識されるようになります。最も格式の高く整った書体としての「真」と,その対極に位置する最も破格の「草」,その中間に位置する「行」と、書の様式表現の3段階として定着。するとこの3段階が、書道以外の様々な芸道においても応用されるようになってきたのです。

そのあたりの詳細は次章でご説明します。

 

真行草は時代の経過とともに理論化された

さらにWikipediaでは、このように解説しています。

平安時代末期より真行草の格の違いから、書道の稽古は行書をまず習得し、次に草書を学べという指導理論が発生し、その後の諸芸道の階梯論に強い影響を与えた。また、「真は行草に通ぜず草もまた真行に通ぜず」としつつ、二元論では無い「行」という曖昧な中間概念が幽玄などの繊細な心の有り様を示し、行の真・行の草といった日本独自の細分化が行われ、場に臨む心構えを説く適場論へと発展した。

出典:Wikipedia

なんだかわかりにくいですね。正直言ってちんぷんかんぷん??

では少しここで前章のおさらいをしつつ整理しましょう。

書道の3書体は、真書(楷書)・行書・草書でしたね。しかし、この3つは独立したパターンであり、優劣の関係はありません

例えば、「真書より行書が素晴らしい」とか「草書なんてクソで真書こそ最高だ」ということは決してありません。この3つは独立した対等な関係です。

というわけで、書道の3書体は以下のように定義づけできます。

 

真=最も格式の高く整った書体
行=真、草の中間に位置するもの

草=真の対極に位置する最も破格なものの

ところが、このような書道をルーツに持つ「真行草」は、日本においては時間の経過とともに、それぞれの持つイメージが以下のように「形式化」してきたのです。

 

真=基礎に忠実な最もまとまった形
行=真から草への過程のありさま

草=基礎からはかなり崩した独自の形

これ、日本文化に脈々と行け継がれてきた「まねる・くずす・やつす」の概念と同じなのです。具体的に言いますと…

 

まねる=先人の歩んだパターンを徹底的に真似る
くずす=真似てきて身に着いた形に自分なりのアレンジを加える
やつす=前例のない自分だけのオリジナルを創造する

ピンときた方もいるかもしれませんが、能の世界で語られる「守・破・離(しゅはり)」も、全くこれと同じ原理です

何が素晴らしいかというと、真書、行書、草書の持つそれぞれの特徴から抱くイメージを元に、人間の成長の過程に見事に当てはめたことです。これはとてつもない人類の英知です。

繰り返しになりますが、中国の書家が確立した書道から生まれた「真行草」は、3つの書体が横一列に対等に並んだものです。すなわちこの3つは「対等」な関係です

ところが、日本社会の中で浸透してきた「真行草」の思想は、真→行→草という「段階」を生み出す縦に並んだ関係に変化したということです。

何と奥の深い、趣のある言葉になったことでしょう。

さらに次の章では、各芸道が「真行草」を具体的にどう捉えているかご紹介します。

 

真行草は各芸道分野で独自に解釈されている

それでは、日本に伝わる伝統的な芸道で、「真行草」がどのように取り上げられているか見てみましょう。

「真行草」の本質は捉えつつも独自に解釈されているので、比べると興味深いものがあります。

茶道

茶道で「真行草」と言えば、まず思い浮かぶのが正座の姿勢のときにおこなうお辞儀です。

・「真」のお辞儀は、 両手を静かに膝の前に下ろし、掌を全部畳に付けます。背筋を伸ばしたまま、お腹を膝に付けるくらい上体を前にかがめます。
・「行」のお辞儀は、背筋を伸ばして上体を前にかがめ、手の指の第二関節から先が畳に付くまで下げます。
・「草」のお辞儀は、指先を膝の前の畳に付けて、上体を軽く前に下げます。

また、茶道では道具や茶室に対しても「真行草」の考え方が随所に観られます。真から草をめざす過程を「道を極めるさま」になぞらえました。茶室を例にとれば、真は格調高い書院風の茶室をいい、草は千利休が広めた草庵茶室といえます。

茶道を体系化した利休は「真を知り、行・草に至れば、(作法や形態は)いかほど自由に崩そうと、その本性はたがわぬ」という言葉を遺しています。

華道

華道においても、花の入れ方、花入れの素材、花材などで「真行草」の分類がなされています。花器を例にしてみましょう。

真の花器:直なるもの、細く高いもの。
行の花器:高さと横幅がほぼ同じもの。
草の花器:高さよりも横幅があるもの。平らなもの。

真の花器が「正統派」で、行、草になるにつれて個性的になっていく印象です。

日本画

日本絵画の礎を築いた室町時代の絵師、狩野元信は中国絵画の様式を徹底的に研究した結果、「新形相」を取り入れた3パターンのガタイの確立に成功しました。それは…

・細密な描写と描線による「真体」
・もっとも崩した描写である「草体」
・その中間にあたる「行体」

というものでした。

造園

伝統的な日本庭園では、園路や垣根、灯篭、石組などにも「真行草」の違いが見られます。園路を例にとると…

「真」の園路は、厳格な印象で縁石は両脇にあります。
「行」の園路は、厳格さは感じられず両脇の縁石が無く、乱形石も混ざります。
「草」の園路は、大きさも様々な乱形石だけで、真と比べるとかなり型破り。

ここでも、基本である「真」が身に着いてこそ、型を崩した園路ができあがると言っていいでsでょう。

連歌

短詩系文学の連歌・連句などでは、歌や句の付け方が、「真行草」になぞらえています。

真=前句に正確に対応している
行=前句の意味を発展させる
草=前句に関係なく面白い句になっている

というふうに分類されています。

また、心情描写においても取り入れられ、「真」は心の趣向と句の結びつきが密なもの、「草」は心の趣向ばかりが目立つもの、その中間が「行」とされています。

 

おわりに

いかがでしたでしょうか。書道の3書体から端を発した「真行草」は、日本において独自の解釈を遂げた「成長の理論」であることがおわかりいただけましたか?

基本を徹底的に学びそれを崩していく過程がそのまま、その「道」を極める達人のプロセスに重なります。伝統的な芸道のみならず、あらゆるスポーツや職人技等に見られることでもあります。

そして、研鑽の末にたどり着く最終到達地点(草=逸格)が出発地点(真=正格)とは全く異なったステージであるということが、道を極めるということの本質を突いていると言えるのです。

 

 

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