2021年NHK大河ドラマが渋沢栄一を描いた「青天を衝け」に決定!

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2021年の大河ドラマが、「日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一の生涯を描いた「青天を衝け」に決定しました。2019年9月9日にNHKが発表しました。

NHKは9日、東京・渋谷の同局で会見を行い、2021年に放送される大河ドラマ(第60作)が『青天を衝(つ)け』で、主演を吉沢亮(25)が務めることを発表した。吉沢の大河ドラマ出演は今作が初めて。脚本は大森美香氏が担当する。主人公は「日本資本主義の父」と称され新一万円札に描かれる渋沢栄一で、その生涯と幕末から明治の激動の時代を描く。

出典:オリコンニュース

NHKのコメントをご紹介します。

“大河新時代” 第2弾、4Kフル撮影による大河ドラマ第60作。
その主人公は、新一万円札の顔としても注目される「渋沢栄一」です。

「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、約500もの企業を育て、
同時に約600の社会公共事業にも関わりました。
晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補にも2度選ばれています。

幕末から明治へ。時代の大渦に翻弄され挫折を繰り返しながらも、
青天を衝くかのように高い志を持って未来を切り開きました。

「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、
近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢は、生涯青春の人でした。

2021年、若き心で挑戦を続けた男・渋沢栄一との出会いにご期待ください。

出典:NHKオンライン

 

 

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なぜ渋沢栄一に決定?

いったいなぜ今渋沢栄一なのか?

これも、NHKがコメントしています。

渋沢栄一の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。
意外に知られていませんが、実はやることなすこと裏目に出てばかり。
波乱万丈です。

田舎の農民に生まれ、倒幕の志士を目指したのにまるで正反対の幕臣に。
すると幕府がつぶれて失業武士に。さらには意に反して明治新政府に仕官することとなり、いざ政治の世界で大暴れしたあと、33歳でようやく辞表を出して民間人へと転身!
ここから実業家として、怒濤どとうの民間改革が始まります。銀行、保険、製紙、紡績、鉄道、海運、ガス、電気……、世の中に必要なものを次々と生み出し、近代日本の礎を築きました。
一貫性のない生き方のように見えて、その道は、幼きころより学び続けた「論語」の精神に貫かれていました。信念のため、たとえ形を変えてでも逆境を乗り越え、確かなものを築いた生きざまは実にエネルギッシュです。

少子高齢化が進み、人口減少に拍車がかかる日本。
右肩上がりの成長が期待できない時代に、私たちはどう歩むべきなのか……。
逆境の中でこそ力を発揮した渋沢栄一の人生を見つめることで、私たちの生きるヒントがきっと見つかるはずです。

出典:NHKオンライン

渋沢と言えば、一般的には「次から次へとビジネスを成功させた大実業家」というイメージがあります。しかし実際は、挫折を繰り返し、思い通りに行かず、思いに反した道を余儀なくされ、紆余曲折を体験しながら我が道を切り開いた人物。

次項で渋沢の人生を簡単にご紹介しましょう。

 

大きな足跡を残した渋沢栄一の人生

江戸時代後期に生まれ、幕末から明治、大正、昭和を生き抜き91歳の天寿を全うした渋沢栄一。彼の業績を短くまとめるのは容易ではないのですが、4節に分けてみました。

幕臣として徳川幕府に仕える

天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現、埼玉県深谷市血洗島)で農家の長男として生まれた渋沢。青年時代に幕末の動乱期を迎え、尊王攘夷派の志士として行動したのち、奇縁により徳川慶喜に仕えることなり、慶喜が十五代将軍職に就くと幕臣として取り立てられます。

1867年、慶喜の弟、徳川昭武の使節団に同行してフランスにわたり、パリ万国博覧会を視察します。

明治新政府の官僚に

帰国後、その才覚を認められ、幕臣出身ながら明治新政府の一員に取り立てられます。

大隈重信の誘いに応じ大蔵省に入省。度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わるも、予算編成を巡って、大久保利通や大隈と対立し、1873年に退官しています。

実業家の道へ

大蔵省を離れると、実業家としてのキャリアをスタート。官僚時代に設立に尽力した第一国立銀行(現・みずほ銀行)の頭取に就任したのを皮切りに、現代まで続く名だたる企業の設立に関わります。

東京瓦斯、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)、王子製紙(現・王子製紙、日本製紙)、田園都市(現・東京急行電鉄)、秩父セメント(現・太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)、サッポロビール(現・サッポロホールディングス)、東洋紡績(現・東洋紡)、大日本製糖、明治製糖、澁澤倉庫など、その数は500以上とされています。

慈善活動にも尽力

渋沢は社会福祉活動にも熱心に取り組みました。東京市からの要請で養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の院長を務めたほか、東京慈恵会、日本赤十字社、癩予防協会の設立などに関わっています」。

 

おわりに

NHKがコメントしているように、渋沢栄一の人生は、現代に生きる私たちに大きなヒントを与えれくれます。

放送開始までまだ間がありますが、渋沢の偉大な功績に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。

 

 

 

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