見てくれている人がいたという喜び

日常生活
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私たちはどうしても、見返りを求めがちになります。

何かを与えるからには、何かを受け取りたい、と思うのは当然のことで、

人間は常に、バランスのとれた状態に居心地を求めるからです。

見返りを求めることは、いけないことではなく、

バランスを常に求める人間の、ごく普通の行為なのです。

なので、見返りが得られない状態が続く中で、ひたすら頑張り続けるのは、

自分は何のためにこんなに頑張ってるのかと、自分に問い続ける日々になるわけです。

なので、こんなことをやっても報われるのだろうか?という不安の中で、

コツコツと頑張り続けるのは、心細さを伴うのです。

しかし、そんな下積みの日々が続く中で、

誰も見ていないように見えて、

実は、見てくれている人がいるのです。

思いがけない励ましを受けたり、びっくりするような援助してくれたりした時に、

自分が1人ではないと実感できます。

予想だにしなかった意外な人が見てくれていた、ということもあります。

見てくれる人の存在に気づいた気が、

見返りを得るステージへの、小さな小さな小さな第一歩なのです。

見返り、とか、報われる、といったことは、時間差でやってきます。

すぐにはやってこないので、ムダのように思えても、長いスパンでみれば、何らかの形で、頑張ってきて良かったと感じる時があり、

頑張ったことに対する見返りを得た、バランスが取れた、と納得できる時が来るのです。

私たちは常に、人との関わり合いの中で生きています。

あなた必ず、誰かに見られています。

あなたの頑張りを見てくれてる人がいる、ということが、

報われたと実感できる、最初にして最大の喜びでもあるのです。

誰かが見てくれているということを胸に止めつつ、

あなたができる最善の努力を重ねていっていただきたいと思います。

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