現代は、時代のスピードは、とてつもなく速いです。
考えてみると、ほんの150年前までは、人は歩いて日本国内を旅行していました。
でも今は、資金されあれば月に旅行に行くことが可能になる時代になりました。
人類誕生から150年ほど前まで「歩いて移動する」時代が延々と続いたのに、
たった150年で、誰でも月に行くことができるようになったのです。
とてつもない進化のスピードに、ただただ驚かされるばかりです。
「10年ひと昔」と言う言葉がありました。
しかしそれはもう完全に死語になったといっていいでしょう。
10年前の2008年と言えば、スマホやタブレットが出回り始めたころであり、
ほとんどの人がガラケーを使用していました。
カード払いや電子決済が今ほど浸透してなく、現金払いがまだまだ主流でしたし、
今花盛りのSNSはまだ登場していなく、MIXIが流行を引っ張っていた時代。
10年どころか、はるか大昔のことのように感じますが、
時間と言うものは、一切の嘘をつきません。
間違いなく、「10年前」です。
世の中の流れは急激なスピードで進歩を遂げているのですが、
すべての人間がそれについていけるとは限りません。
人間は、いずれ死を迎える「生き物」であり、
年と共に衰えていきます。
すさまじいスピードで進化する世の中とは裏腹に、
気力、体力は、ゆるやかに減退していくのは避けられません。
進化を遂げる時代と、肉体的には衰退していく自分、という、
対照的なコントラストが、今この瞬間に投影されているのです。
この事実に目を向けると、時代との「付き合い方」がちょっとばかり見えてきます。
最新のテクノロジーを、衰える自分を「補う」存在として捉える。
年を重ねれば重ねる程、新しいものに「抵抗」して、
古きよきものを懐かしんでしまうものですが、
自分が失いかけている「若さ」を埋める存在として、
最新の技術を受け入れ、取り込むことで、
時代の流れと「仲良く」なれるのでは。
最先端を敵視せず、味方につける。
これからも、時代はどんどん変わっていきます。
そして、今まで想像すらしなかった未来が、次から次へとやってきます。
一生という限られた時間の中で、時代と共に登場するテクノロジーを、
仕方ないなあという気持ちで「使う」「利用する」の視点のままでは、
さらに新登場する技術にもはやついてけず、辟易してしまうことになります。
新たなものを好奇心をもって受け入れ、
「遊ぶ」とか「戯れる」といったレベルにまで高めることが出来たら、
人生の充実度は格段に上がっていくことでしょう。